「かけがえのない地球」Only One Earth

すべては「地球サミット」へ向けて

  • 1972年:国連人間環境会議(人間環境宣言)
  • 1985年:オゾン層保護全権会議(ウィーン条約)
  • 1987年:モントリオール会議(オゾン層を破壊するフロン、ハロン、二酸化炭素の削減による地球温暖化の防止等)
  • 1988年:IPCC(気候変動に関する政府間パネル)Intergovernmental Panel on Climate Change
  • 1992年:環境と開発に関する国連会議UNCED(地球サミット)リオデジャネイロ

国連人間環境会議:1972 年(ストックホルム会議)

 1972年6月,地球環境の破壊の進行に対して対策を協議した最初の国際会議。
スウェーデンが国連に対して,1960年代後半に激化した北欧の酸性雨被害発生防止対策など,地球環境問題への対応について協議するための国際会議をストックホルムで開くよう提唱し,国連主催の会議開催が実現した。正式名称は〈国連人間環境会議〉。
会議には世界各地から113ヵ国の政府代表,国連機関関係者など約1300人が参加,各国政府代表がそれぞれ直面している環境問題の実態と対応策などについて報告したあと,環境汚染問題をはじめ,人口,食糧,資源,クジラなど野生生物保護問題,南北問題など広範な分野の問題について討議が行われ,〈国連人間環境宣言〉を採択した。
日本からは大石武一環境庁長官を首席代表とする政府代表団が出席,大石長官が水俣病や四日市喘息などの激甚な公害が発生したことへの反省を率直に表明,環境アセスメントを導入して環境破壊の未然防止に力を入れて取り組む決意を述べた。
ストックホルム会議に合わせて開かれた市民集会には水俣病患者なども出席,〈公害先進国ニッポン〉を告発,世界に衝撃を与えた。ストックホルム会議の10周年を記念してナイロビで国連環境会議,20周年にリオ・デ・ジャネイロで国連環境開発会議(地球サミット)が開催された。

ナイロビ会議(UNEP管理理事会特別会合):1982年

1980年の第35回国連総会は、国連人間環境会議10周年を記念してUNEP管理理事会特別会合を開催することを決定した。UNEP管理理事会特別会合は、1982年5月10日から18日までケニアのナイロビで開催された。
このナイロビ会議では、「ナイロビ宣言」や「1982年の環境:回顧と展望」などが採択された。ナイロビ宣言では、「過去10年間に、新たな認識が生まれた。すなわち、環境の管理および評価の必要性、環境、開発、人口、資源の間の密接かつ複雑な相互関係、並びに特に都市においての人口増加により生じた環境への圧迫が広く認識されるようになった。この相互関係を重視した総合的で、かつ、地域ごとに統一された方策に従うことは、環境的に健全で、かつ、持続的な社会経済の発展を実現させる。」また、「環境に対する脅威は、浪費的な消費形態のほか貧困によっても増大する。双方とも人々に環境を過度に利用させる可能性がある。」とされ、先進国と開発途上国との環境と開発をめぐる議論についての共通の土俵ができた。
日本政府代表の原文兵衛環境庁長官(当時)は、地球の環境保全に関する諸施策を長期的かつ総合的な視点から検討し、21世紀の地球環境の理想像を模索するとともに、これを実現するための戦略を策定するため、高い識見と深い洞察力を有する世界有数の学識経験者を構成員とする特別委員合を国連に新設することを提案した。これに基づいて、1983年の第38回国連総合は、「環境と開発に関する世界委員全」の設立を決議し、翌1984年同委員会が発足した。

国連環境開発会議(UNCED)リオデジャネイロ・「地球サミット」:1992年

地球環境問題に人類社会が初めて取り組んだ1972年6月の国連人間環境会議(通称ストックホルム会議)から20周年を記念して,1992年6月,ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた20世紀最大規模の国連会議。〈地球サミット〉と通称。178の国連加盟国のうち172ヵ国が代表団を派遣,このほか民間環境保護団体(環境NGO)から約1万7000人が訪れ,展示,講演,討論,各国・各地の現状報告などに参加した。会議では地球温暖化防止条約,生物多様性条約の調印,〈環境と開発に関するリオ・デ・ジャネイロ宣言〉〈森林に関する原則声明〉の採択が行われた。同会議のスローガンは〈持続可能な発展〉。また会議で採択された〈アジェンダ21〉は条約のような拘束力はないが,21世紀に向けた地球環境保全の行動計画として,会議後の各国の環境政策や開発計画に反映されている。地球温暖化防止条約第3回締約国会議は1997年12月,日本の京都で開催された。