「かけがえのない地球」Only One Earth

すべては「地球サミット」へ向けて

  • 1972年:国連人間環境会議(人間環境宣言)
  • 1985年:オゾン層保護全権会議(ウィーン条約)
  • 1987年:モントリオール会議(オゾン層を破壊するフロン、ハロン、二酸化炭素の削減による地球温暖化の防止等)
  • 1988年:IPCC(気候変動に関する政府間パネル)Intergovernmental Panel on Climate Change
  • 1992年:環境と開発に関する国連会議UNCED(地球サミット)リオデジャネイロ

国連人間環境会議:1972 年(ストックホルム会議)

国連創設後の最初の数十年は、環境問題が国際的な議題になることはほとんどなかった。環境に関連した国連活動で強調されたのは天然資源の探査と利用であった。それと共に、とくに開発途上国が自国の天然資源を管理できるようにすることも求められた。1960年代、海洋汚染、とくに油のたれ流しの問題についていくつかの合意が見られた。それ以降、グローバルな規模で環境の悪化を示す例が増え、国際社会は開発が地球の生態系と人間の福祉に影響を与えることについて警報を拡大させてきた。国連は環境問題についての唱道者となり、かつ「持続可能な開発」について指導的役割を果たしてきた。

経済開発と環境の劣化との関係が初めて国際的な議題となったのは、1972年にストックホルムで開催された「国連人間環境会議」においてであった。会議の終了後、加盟国政府は国連環境計画(United Nations Environment Programme: UNEP)を設置した。UNEPは世界の主導的な環境機関となった。

1973年、西アフリカの砂漠化防止活動の先頭に立つ機関として「スーダン・サヘル事務所(United Nations Sudano-Sahelian Office: UNSO)が設置された。現在はUNDPの「乾燥地帯開発センター(Dryland Development Centre)」となり、グローバルな任務を帯びるようになった。1996年に国連砂漠化防止条約が発効した。この条約は正式には「深刻な干ばつ又は砂漠化に直面する国(特にアフリカの国)において砂漠化に対処するための条約(Convention to Combat Desertification in those Countries Experiencing Serious Drought and/or Desertification, Particularly in Africa(1994年)」と呼ばれる条約で、その発効によって、この砂漠化防止の活動に新たな弾みが与えられた。

1980年代には、オゾン層の保護や有害廃棄物の取り締まりに関する条約など、環境問題については画期的な交渉が加盟国の間で行われた。総会が1983年に設置した「世界環境開発委員会(World Commission on Environment and Development)」の作業によって、新しいタイプの開発の必要性が新たな緊急感と共に理解されるようになった。すべての開発が左右される環境資源を保護する一方で、現在および将来の世代のために経済的福祉をもたらすような開発である。委員会は1987年の総会に宛てた報告のなかで、自由な経済成長だけに基づくアプローチに代わるものとしてこの新しい概念の「持続可能な開発」を提唱した。総会はその報告を審議し、国連環境開発会議-地球サミットの開催を要請した。地球サミットは1992年、ブラジルのリオデジャネイロで開催された。その規模、範囲、影響、すべて未曾有の出来事であった。地球サミットは、持続可能な開発を人権、人口、社会開発、人間居住の問題と結びつけた。

今日、環境を支え、持続させる必要についての認識は、国連のほとんどすべての活動に反映されている。国連と各国政府、NGO(非政府組織)、学術団体、民間セクターとの間にダイナミックなパートナーシップが生まれ、それによって環境問題に対する新しい知識や具体的な行動が生まれている。国連にとっては、経済社会活動と環境の保全は表裏一体である。持続可能な開発を達成するには、あらゆるレベルで経済、環境、社会の関心事の一体化を図らなければならない。

ナイロビ会議(UNEP管理理事会特別会合):1982年

1980年の第35回国連総会は、国連人間環境会議10周年を記念してUNEP管理理事会特別会合を開催することを決定した。UNEP管理理事会特別会合は、1982年5月10日から18日までケニアのナイロビで開催された。
このナイロビ会議では、「ナイロビ宣言」や「1982年の環境:回顧と展望」などが採択された。ナイロビ宣言では、「過去10年間に、新たな認識が生まれた。すなわち、環境の管理および評価の必要性、環境、開発、人口、資源の間の密接かつ複雑な相互関係、並びに特に都市においての人口増加により生じた環境への圧迫が広く認識されるようになった。この相互関係を重視した総合的で、かつ、地域ごとに統一された方策に従うことは、環境的に健全で、かつ、持続的な社会経済の発展を実現させる。」また、「環境に対する脅威は、浪費的な消費形態のほか貧困によっても増大する。双方とも人々に環境を過度に利用させる可能性がある。」とされ、先進国と開発途上国との環境と開発をめぐる議論についての共通の土俵ができた。
日本政府代表の原文兵衛環境庁長官(当時)は、地球の環境保全に関する諸施策を長期的かつ総合的な視点から検討し、21世紀の地球環境の理想像を模索するとともに、これを実現するための戦略を策定するため、高い識見と深い洞察力を有する世界有数の学識経験者を構成員とする特別委員合を国連に新設することを提案した。これに基づいて、1983年の第38回国連総合は、「環境と開発に関する世界委員会」の設立を決議し、翌1984年同委員会が発足した。

「地球サミット」国連環境開発会議(UNCED)リオデジャネイロ:1992年

地球環境問題に人類社会が初めて取り組んだ1972年6月の国連人間環境会議(通称ストックホルム会議)から20周年を記念して,1992年6月,ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた20世紀最大規模の国連会議。〈地球サミット〉と通称。178の国連加盟国のうち172ヵ国が代表団を派遣,このほか民間環境保護団体(環境NGO)から約1万7000人が訪れ,展示,講演,討論,各国・各地の現状報告などに参加した。会議では地球温暖化防止条約,生物多様性条約の調印,〈環境と開発に関するリオ・デ・ジャネイロ宣言〉〈森林に関する原則声明〉の採択が行われた。同会議のスローガンは〈持続可能な発展〉。また会議で採択された〈アジェンダ21〉は条約のような拘束力はないが,21世紀に向けた地球環境保全の行動計画として,会議後の各国の環境政策や開発計画に反映されている。地球温暖化防止条約第3回締約国会議は1997年12月,日本の京都で開催された。